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■2015年が終わろうとしている。





クリスマスも終わってもうすぐ新しい年がやってくる。ちまちまと母のことや秩父へ行ったときの記事を書いているが思うように進まない。気づけば料理の記録ばかり。私は一体なんなんだ。自分が気に入ったレシピが迷子にならないよう記録しているだけなので単なるメモでしかない。それがいちばんの目的なのは確かだけど、簡単そうだから作ってみよ!となってくれたら嬉しいなと思ったり。実際ちらほらそういう人がいてくれるので内心ほくそ笑んでいる私。



12月は、秩父に小旅行して、せっせと料理して、友人の舞台やLIVEを見に行ったり、母の関係の用事を済ませたり、仕事の忘年会(今の仕事して3年ちょっとだが初めて会社から予算が出た!)行ったり。ごくごく最近は良く行っているお店に行って今年の食べ納めに勤しんだり。年末年始は彼氏の実家の秋田へ行く。31日から1月5日まで。帰ってくるのは6日の朝。お正月に彼氏の実家に行くのは2回目だけど今回はちょっと長めの滞在になるので、雪が多く車社会の町で何をしようか(私は免許持っていません)。そんな中、石川と石山が出る秋田テレビで放送するゴルフの番組が見れるというミラクル。



母が最後にしていた仕事を始めてからはお休みはカレンダー関係なく週2のお休みも連休ではなかったのでゆっくりお正月を一緒に過ごせなかった。来年はゆっくり過ごしたかったな…なんて思う。本当はそうしているはずだった。でも叶わなかった。泣けてくる。ちょっと落ち着いて来てふとしたときにいろいろ思い出しては涙が出てくる。直後1ヶ月はやること多いながらも毎日毎日泣きっぱなし、その後は日常に戻り仕事の合間に諸々やることがあったりで忙しくしていたり、彼氏や愉快な仕事仲間のおかげであまり泣かなくて済んだ。泣かなくなることは薄情なことではないと分かっているけど、泣かない日々にもやっとしてみたりもした。今は本当にちょっと落ち着いて来た感じなんだなと思う。思い出して泣く余裕が出てきたということだ。



クリスマスのちょっと前にいつも買い物をする商店街でジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」を耳にしたとき涙が止まらなくなった。今年は戦争みたいな年だったな…と思う。母と一緒に病と闘い、不安で折れそうになる気持ちを一生懸命立て直しながら母の前ではもちろん彼氏や友人の前でもなるべく笑顔で元気にと頑張った。2月に母が入院してから10月3日に亡くなるまで病院に出入りしていていろいろ勉強になること、考えたこといっぱいあった。母との時間はとても貴重だった。うちは母子家庭ということもあってかなり仲が良かったし、親子であり姉妹であり、親友みたいな関係でもあった。身内だからこその行動だけど、自分が忙しかったり面倒だなと思うときはちょっとおざなりにしてしまったり。そんなことは誰にだってあることだって分かってるんだけど…そのときにもうちょっといろいろ分かっていたらもっと大切に出来たのになと思う。だけどこういうのはこうなって初めてちゃんと分かるもんなんだなとしみじみ思う。誰かに言われたからって分かるもんじゃない。経験を伴って初めてちゃんと分かること。中学生のころまで一緒に暮らしていた祖父も亡くなっているけど私は祖父の遺言により祖父の死には関われず、死んだという実感もなくなんとなくどっかに行ってしまったというような感覚。身内を亡くしたのは母が初めてのようなものだった。



23歳のときに実家を出たけど、よくよく考えてみたら親と一緒に暮らしたのはたったの23年という事実。私がいつか結婚して落ち着いたら一緒に暮らしたいなと1人勝手に考えていたけど叶わなかった。正直私は実家を出たかったわけではない。母が亡くなったら私は1人でやっていかなければならないんだからということで私のためを思って母は私を実家から追い出してくれたのだ。1人で暮らさなければ分からなかったことや出来なかっただろうなということがたくさんある。大変なときもあったけど、1人暮らしをして良かったなと思う。そして気付けば彼氏が出来て一緒に過ごすようになり、再び実家で暮らすことはなかった。何が言いたいのかというとそれなりに親子関係が良好な人は一緒に暮らしていても離れて暮らしていても仲良くな!ということ。健康には人一倍気をつけていた母だから当たり前のように80歳くらいまで生きるだろうと思っていたし、いつか介護したりする日が来るのかななんて昨今よくやっている介護を話題にしたテレビ番組を見ながら思っていた。9月に余命を告げられてからは私が出来ること、身体を拭いたりベッド上で髪の毛を洗ったり、口腔ケアや車椅子への移乗や体位交換などやったけど、所謂老人介護というものはすることはなくなってしまった。短い期間で更に病院の中でだったからかもしれないけど、私は母のお世話をするのがすごく楽しかったし、役に立てることが嬉しかったし、毎日少しずつ出来ないことが増えていく母のことが哀しくて愛しくてたまらなかった。



旅行に連れて行ってあげるとかの分かりやすい親孝行は出来なかったけど、去年の11月辺りから体調の悪い母に付いていてなんとなく親孝行出来たのかなと思ったり。これでちゃんと病気が治れば最高だったんですけどね。旅行に連れて行くほどの余裕はなかったけど、今思えば気軽な日帰りのバスツアーとか行っておけば良かった。食事はときどき行ってたけど、どこか一緒に観光地っぽいところに出掛けたのは2005年に2人で伊豆下田に旅行したときが最後かもしれない。派手に出掛けたり高価なものを買ってあげることは出来なかったけど、私と母はいつだって関係良好だったし実家が近くなってからは作った料理をお裾分けしたり、休みの日にはスイーツ買って行って母と過ごしたりした。些細なことでいいから自分なりの親孝行が普段から出来ると自分が先に死なない限りいつかは必ず来る親とのお別れの日に後悔せずに済むんじゃないかなと思う。もちろんもっとこうしてあげたら良かったなとかそういうのは絶対あると思うけど。自分も親も恋人も友だちも今日元気でも明日元気かどうかは分からない、いつ事故に遭うかもわからない。そういうことだよね。今こんなに痛感していても残念なことに当たり前の日常がそれを忘れさせる。当たり前がどんなに尊いことか。ときどきこの経験をちゃんと思い出しながら身近な人を大切にしていけたらいいなと思う。



母との闘病記の中で振り返り伝えようと思ってたことだけど、まだまだ書き上がりそうにないので今年のまとめとして。とにかく今年は母・病院・ヤクルト優勝という感じだった。何を置いても母が最優先だった今年。来年はどんな年になるのかな。よく考えて目標を細かく設定しようと思う。自分の転機となった今年、考え方もずいぶん変わったし、来年はいよいよ名字も変わりそう(!)。母から学んだことを無駄にせずにしっかり生きて幸せにならなければいけない。



Twitterで弱音を吐いたときや、母が亡くなったときなど、声を掛けてくれた方々にこの場を借りてお礼を。デリケートな問題なのでなんて声を掛けていいのか分からなかったという方も多かったと思う。私も自分が同じ立場だったらきっと声掛けられない。それぞれの性格や考え方があるので、どれが正解とかはない。私の発信する言葉を受け取って何か言葉を掛けてくれた人・声は掛けなくても何か考えてくれた全ての人に言いたい。励ましてくれて、見守ってくれてありがとう。今年はいろんな人に感謝することが多い1年でもあった。いつどんな形で私が恩返し出来るのかは分からないけど、私の得意分野が誰かの役に立つときが来るときのために準備だけはしっかりしておきたい。本当の意味でのお礼とか恩返しっていうのはすぐ出来るものじゃないと思うので。



これで今年の更新は最後。来年こそはiPhoneからも更新するようにしてもうちょっと頻繁にBlog記事アップしていきたい!…毎年言ってるような気がするけど。そんなこんなで、みなさん良いお年を!

コメント
いろいろ大変だったね。
自分は今年、父と愛犬に旅立たれ、しばらく涙が止まらない日々だった。
だから、ちょっとばかし、気持ちがわかるような気がする。
  • 2015/12/31 8:11 PM
  • shuji endo
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